ぼくらはみんな生きていく

医療的ケアの力を借りてご機嫌に生きる、重症心身障害児の娘の闘病記録や日々の暮らし、医療や福祉など母の頭の中のあれこれを書くブログ

昔の話⑤ 2006.10~12 転院後 小脳血管腫摘出手術

旧ブログから抜粋していて昔の話をしています。はじめから読む方はこちらから↓

megumeimusic.hatenablog.com

 前回の続きです。前回の記事はこちら↓

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転院後

 

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転院の少し前、体表の巨大化した血管腫は根元を糸で縛り血流を止め壊死させ取ることができた。背中のこぶし大の物も、口元の飴ちゃんともお別れできた。


新しい病院に着いてから、いくつかの検査を経て小脳の血管腫摘出手術に踏み切ることが正式に決定したが、やはりリスクの高い手術になる事は間違いなかった。

長期に渡るステロイド治療の副作用で傷の治りが悪く出血すると止まりにくく、感染のリスクもかなり上がるらしく、どうしてもステロイドを一旦やめる必要があった。ステロイドをやめるとせっかく落ち着いている血小板の値などが悪化する事が考えられたが、成分輸血で対応してでも薬をやめなければ、手術はできない。

 

手術までの間、心配していた通りトラブルは続いた。

長い間持ちこたえてくれていた脳室ドレナージが、脳室から浮き上がってしまい再留置手術が必要になった。中心静脈カテーテルの留置手術も2度頑張った。容態が悪化しひやひやさせられることも何度かあった。

 

そうこうしている間にも身体中の血管腫はどんどん大きくなっていく。前に進むしかない状況の中、死をいつもどこかで覚悟している、綱渡りの様な日々だった。

苦しい状況の中で私の気持ちをを支えてくれていたのは、やっぱり旦那と、他でもないめい自身だった。

県外まで毎日片道二時間かけて面会にいったが苦にはならなかった。どうしても毎日会いたかった。

 

めいは私の顔をみてはニコニコ笑い、わーわーとたくさんおしゃべりをしてくれた。面会時間中黙っている時間の方が短いくらい、今思えば相当おしゃべりな赤ちゃんだったと思う。

大きくなったらお喋りなおしゃまさんに育つんだろうな、とぼんやり未来を想像したりもしたりしながら、死ぬかもしれないと言われていた手術の日を、指折り数えて待っていた。

 

小脳血管腫摘出手術当日

 

トラブル続きのままなんとか迎えた手術当日。

いよいよ開頭し小脳の大きな血管腫を取り出す。

手術予定時間は9時間。死亡リスクは高い。

覚悟はしていたのにいざ送り出すとなると怖くてたまらなかった。

 

朝9時。かならず元気に帰ってきてね、と見送った。

頭の中ではもしかしたら…と嫌な考えが止まらない。

家族待合室で待つ。ひたすら待つ。テレビもついているし、雑誌や本もあるのに、読む気にもならない。寝て待つかとも思っても、疲れているのに眠れない。旦那も落ち着きがない。

 

手術終了予定の6時を過ぎてもなんの連絡もなく、めいは戻ってこない。気になって待合いを出たり手術室の近くまで行ったりウロウロしたり、気が気じゃなかった。

 

どうして帰ってこないの、もしかしたらうまくいっていないんじゃ…

 

結局何の連絡もないまま夜の8時。

神経もすり減りクタクタになった頃、手術室からようやく連絡が入った。

「終わりました。めいちゃんよく頑張りました。」

腰が抜けるかと思った。

 

手術室から出てきためいはちょっとぐったりして、私たちの顔を見るなりかすれた声で泣き出した。

 

本当に生きてる。

めいが生きて帰ってきた。

 

病気告知の日以来初めて、めいの前で泣いた。

 

この時「元気になりますように、治りますように」という願いがやっと、「この子は生きていける、元気に私たちのところへ帰ってくる日は来る」と現実味を帯びた未来のように思えた瞬間だった。
 

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術後しばらくして迎えたはじめてのクリスマス。初めての子供がそばにいないままに購入した帽子はぶかぶかだったけど泣けるくらいかわいかった。