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またあした
小脳の血管腫摘出手術は成功したものの、術後の体調はなかなか安定しなかった。
輸血が必要になったり、一度取れた呼吸器がまた必要になって挿管したり。手術前まで治療に長期使用していたステロイドの影響もあったようで、傷の治りも悪かった。
手術そのものも危険だが、術後に感染症や呼吸不全を起こしてしまう可能性が高いことも聞いていたので、毎日毎日ハラハラしていた。
そんな状態のまま年が明けて数日たった頃、ようやく呼吸器が外された。
少しゼーゼーいっていて、泣くとSPO2が(血中酸素濃度)が下がったりもしてけれど、呼吸器をつけなくてもなんとか大丈夫なところまで回復しているのではないか、との事だった。
泣くとSPO2が下がるのに関しては、結局原因はわからないままだったが、表情も明るく、毎日毎日ニコニコ過ごせるようになっていった。
目が合えば笑い、甘え泣きをして抱っこをせがむめいがかわいくて、仕方がなかった。早く元の病院に帰って、それから、おうちに帰って、それから、それから…
今までしてあげられなかった事、してあげたい事がたくさんあった。
そんな中、ようやく元の病院に帰れる事になった。
救急車にゆられ、今度は私も付き添って元の病院へ。
意外と揺れる救急車、乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかったけれど、早く帰りたくて、心は弾んでいた。
病院に着いて運び込まれたのはNICUのお隣、回復室のGCU。
それはめいが元気になって帰ってこれた証拠のように思えた。先生や看護師さん方みんなが、「おかえり!」と笑顔で迎えてくれた。
ただいま!約束通り元気に帰ってきたよ。
「一旦はGCUに入るけれど、これからは一般病棟に移って母子入院して、お家に帰る練習をしていこうね。」
と、説明を受け、退院に向けての具体的な話も進んでいった。
一般病棟の見学をしたり、家に帰った後の計画をしたり、いよいよ帰れる日も見えてきてわくわくしていた。
GCUで数日間過ごしたある日、相変わらず泣くとちょっとしんどくなって、なかなか酸素だけは手放せなかったので、めいの顔の横にはいつも酸素マスクが置かれていた。めいはそれが自分に欠かせないものだという事をしってか知らずか、その酸素マスクを器用に触り、ゴソゴソと遊んでご機嫌。
泣いてさえいなけえれば、本人もケロリとしていた。「めいちゃん大物やな〜」とみんなで笑っていた。
泣いてしんどくなる原因はまだはっきりせず、先生たちも小首をかしげていた。
面会時間が終わり、帰る時間。
今日はまた帰らなくちゃいけないけれど、もう少ししたら、面会時間なんて気にせずに、毎日ずっと一緒にいられる。
めいを抱きしめて、「また明日まで、良いこに待っててね。またあしたね」と声をかけて、その日は帰った。
元気なめいに会えたのは、これが最後。
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