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はじめての祖父母面会
めいの急変から数週間が経った頃、祖父母面会の提案がされた。
めいの入院している病院のNICUでは、祖父母の面会は許されていなかったのだけど、急変した事と退院の目途がたたない事や病状の悪さが考慮され、特別に面会が許可された。
めいが頑張っていた同じ時期、もう一人頑張っていたのが癌の闘病中だった義父だ。
病状は思わしくなく、会うたびに
「僕は、もういつ死ぬかわからへんから…」
とこぼしていた。
とても強くて優しい人だったけれど、病気が弱気にさせていたのだと思う。
義父が近々手術を控えていた事も、祖父母面会の許可がおりた理由のひとつだった。
面会当日まで、看護師さんや先生達は何度も話し合いを重ね、どうすれば安心して良い時間を過ごせるか考えてくださった。
面会当日、私と義父母の3人での面会。
めいに会ってもらうのはこの日が初めてだった。本当は元気な姿で、笑顔で、会ってもらいたかったけれど。
めいの意識は相変わらずないままで呼吸器も挿管されたままだった。
私が呼吸器の回路を持ち、義母がめいを抱っこしてくれた。
義父は、こわい、とだっこはできなかったけれど、めいの顔がよく見えるように、あっちへいったりこっちへ来たりウロウロして、時折とびきり優しくめいの頭をそっと撫でてくれた。
「自分の子供(旦那)が赤ちゃんの時も怖くてしばらく抱っこできひんかったもんやから…」
と少し照れて、笑いながら教えてくれた。
面会時間はあっというまに、和やかに終えられた。
めいのしんどい姿を見せて、余計な心配はかけないだろうか、NICUの雰囲気に戸惑わないだろうかと心配していたけれど、義父も義母も
「会わせてもらえてよかった。」
と言ってくれた。
帰り際、義父が
「あんなに頑張ってるんやから、僕も頑張らなあかんな。」
とポツリと呟いたのを、よく覚えている。
義父はそれから亡くなるまでの1年半、それまで会うたび口癖のようにこぼしていた
「もういつ死ぬかわからへんから」
という言葉を私たちの前で一度も口にしなかった。
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