前回の続きです。
①と②はこちらから↓
気管切開を決断するまで
2017年6月 転院 声門閉鎖手術
転院してから手術当日までは2日。ドキドキしながら手術を待ちました。
あと二日で、声が出なくなるのか、とか、あと二日で本当に首に穴があくんだな、とか、本当に楽になるのかな、ならなかったらどうしよう、全身麻酔こわいな、とか寝ているめいの横でずーっと余計なことばっかり考えていました。
(腹括ったはずだったのになぁ。)
すんごい余談なんですけど…手術前夜の22時に、病院の非常ベルが鳴り響き、看護師さんが大慌てで避難を呼びかけに病室に走り込んできました。
青ざめ、ここまできたのに手術どころじゃないやん!!と涙目になりながら既に寝ていためいを運び出す準備をしいよいよ避難というところで、「誤作動でした」の放送が。
えええええええええええ…
手術前夜の緊張が少しほぐれたのでした。
ああ誤作動でよかった…もうっ!
手術当日。
手術は拍子抜けするほど順調にいき、朝9時に手術室に送り出し、11頃には終わりました、の電話がかかってきました。
順調だったのですが、麻酔が切れてもなかなか意識が戻らず自発呼吸も戻らなかったため呼吸器を外すことができず、予定よりも一日長く集中治療室のお世話になりました。
少しハラハラしたのですが、その後の回復は早く、手術から2日後に一般病棟に戻ることができました。
一般病棟に戻った日、術後初めてめいが泣いた時に声が出ないのを見て、ああもう本当にあの声を聴くことはできないんだなぁと、胸がぎゅうっと締め付けられました。
でも、それから、めいは日に日に元気になっていきました。
あれ?昼間ちゃんと起きてる…
ちゃんとおしっこが出てる…
心拍数が保たれている…徐脈じゃない…
体温保ててる…
あれ?今日も元気…
あら?
これは術後にわかったのですが、全身状態の悪化はどうやら呼吸状態の悪さが引き起こしていたようでした。
呼吸は生きていくことの基本、それがしんどかった事で体が省エネモードのような状態になり、全身の機能が悪くなっていたのではないか、とのちに主治医の先生に言われました。
手術で失ったものより、うんと大きなものを得られたのだと、間違いじゃなかったのだと思えました。
あれよあれよという間に時間が過ぎ、手術から1週間で元いた病院へ戻りました。
めいの体調的には直接退院してもいいくらいだったそうですが、そこからは私と旦那への医療的ケアの手技の指導など、退院へ向けた準備の時間でした。
新しく覚えた医療的ケア
退院の為に新しく覚えなければいけないことがいくつかありました。
- 気管カニューレの挿入、固定、紐ガーゼ交換等
- 気管内吸引
- 呼吸器の簡単な操作や回路交換
などを教えてもらい、新しい生活に備え、ようやく家に帰ることになりました。
2017年7月 退院
やっとおうちに帰ることができ、めいも私たちも心から嬉しく、心からほっとしました。
退院するなり眠ってしまっためいの体はあたたかく、顔色もよく、いくらでも気が済むまで寝るといいよ、と、それまでとはまったく違った気持ちでそのおでこをなでながら見守ることができました。
本当に、手術をしてよかったと、この時も、今も、変わらずに思えています。
手術まで支えてもらった人達のこと
主治医の先生に手術をお願いすることを伝えたあと、転院までしばらく待ちました。
というのも、当時まだ同じ病院で声門閉鎖の手術を受けた子はいませんでしたが、めいと同じタイミングで同じ手術を決意した子がいました。
それが、私達夫婦で活動しているバンド、ムジグルのメンバーの、もう一つの家族の愛娘、琴ちゃんでした。
母ゆきちゃんはムジグルのボーカルです。
twitter.com
偶然にも年明けの入院時から琴ちゃんも入退院を繰り返していて、これまた偶然にも同じタイミングで同じ手術を受けることになり、琴ちゃんが第一号として転院し、めいは琴ちゃんに続いて第二号でした。(琴ちゃんは既に気管切開をしていたので少し状況は違ったのですが)
先陣を切ってくれた琴ちゃんの頑張りに、ドーンと構える母のゆきちゃんの強さに、勇気をもらってタッチ交代、バトンを受け取り、入れ替わりでめいも新しい病院へ転院したのでした。
入院中に落ち込んだり迷ったり悩んだり、泣いたりしながら、琴ちゃんの存在に、母のゆきちゃんの存在に、この時も、それまでも、どれだけ支えられたか。
そして、同じように、他にも入院を共にし泣いて笑って一緒に乗り越えたこどもたちと母たちがいてくれて、その存在はやっぱり大きなものでした。
ひとりじゃとても乗り切れなかった。本当に心から感謝しています!
ゆきちゃんと琴ちゃんのブログ↓
(近々再開すると聞いたのでご紹介。)