ぼくらはみんな生きていく

医療的ケアの力を借りてご機嫌に生きる、重症心身障害児の娘の闘病記録や日々の暮らし、医療や福祉など母の頭の中のあれこれを書くブログ

13年分の「迷い」と「決断」

私の娘は医療的ケアの必要な重症心身障害児です。

自分で話すこと、歩くこと、一人で座ることも、できません。いわゆる寝たきりと呼ばれる状態です。

 

娘は難しい病気を持って生まれ、生後すぐにNICU(新生児集中治療室)に入院し、1年2か月の間一度も家に帰ることのないまま治療と手術を繰り返しました。

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病気はあったけれどよく笑いよく遊ぶ元気な赤ちゃんだった。

 

数か月で命を落とすかもしれないと言われていましたが治療や手術の甲斐あって、病状が安定し退院の話が進み始めたのは生後7か月の頃の事でした。

そんな時。

やっと、これからは元気に生きていけると思った矢先に、退院間際に誰も予想していなかったまさかの急変、心肺停止の状態に陥ったのです。

蘇生し命はとりとめましたが、心肺停止の時間の長さから脳には深刻なダメージが残りました。

 

少し後に、おそらく一生寝たきりで歩いたり話したり笑ったりコミュニケーションをとれるようにはならない、元の娘には戻れないと宣告されました。

 

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心肺停止後、安静のため薬で意識のない状態となり人工呼吸器で呼吸しているだけの姿に絶望した。

 

それから更に半年入院は続き、少し呼吸状態が改善され、人工呼吸器を卒業できてそれ以上の治療継続はなくなり、入院続行ができないことになりました。

 

重い障害を負い医療的ケアを必要とする寝たきりの娘。

家に連れて帰るか、施設に入れるかの二択を迫られ、家に連れて帰ることを決断しました。私にも、旦那にも、迷いはありませんでした。

 

娘との生活

退院時、口から食べ物を食べることができなかった為鼻から腸まで栄養摂取のためのチューブを入れて栄養剤を24時間常時少しづつ送り続け、もう片方の鼻の穴には胃へのチューブも入っていて交換も家族で行い、呼吸疾患があったため酸素投与も必要で、痰が出たら機械で痰の吸引も必要で…

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娘の命を守るためのたくさんのチューブ

文字にすると仰々しい、必要な医療的ケアの数々。

退院時は医療的ケアに対して身構え、恐れのような気持ちもあったのですが、日々のケアをこなしていくうちに、私たちにとっても娘にとっても生活の一部となっていきました。

 

広がる娘と私たちの世界 

2歳になる少し前から、親子で療育園に通い始めました。

そこには、どんな重い障害を持った子も子供らしくいきいきと遊ぶ姿がありました。

様々な状態の子供たちと、その母親と、先生と、看護師さんとみんなで過ごす時間。

 

ブランコ、滑り台など体を使った遊び、音楽、ものづくり、クッキング。

季節を感じるイベント、プール遊び、運動会、遠足。

風のにおい、陽ざしのあたたかさ、落ち葉の感触、雨の音、雪の冷たさ。

泣いたり笑ったり、ギュッと体に力を入れたり、ふっとゆるんだり。

こども達は、そのすべてを体中で感じているようでした。

 

優しい先生たちに守られて、居心地のいい園で子供らしくすくすくと育つ娘に、大好きな人、大好きな遊び、大好きなものが、少しずつできていきました。

楽しい生活を送り、成長とともに少しずつ体調も落ち着き始め、酸素を卒業し、腸への栄養注入を卒業し、3歳の時には胃ろう増設手術を経て鼻のチューブも卒業しました。

口から、少しずつごはんも食べられるようになり、食べ物の好き嫌いも出てきました。

嬉しい顔、嫌な顔、ほんの少しだけ動く腕でぎゅっと押し返してくるしぐさ。

娘の見せてくれる小さなサインのすべてが愛おしく感じました。

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一生笑えないと言われた娘の笑顔が少しずつ増えていった。

そして園で出会った母親同士のつながりが、強がってばかりいた私の弱いところをほどいて、そして大切な心の拠り所になりました。今でもずっと、私と娘を支えてもらっています。

園には小学校就学までお世話になり、宝物みたいな時間を5年間過ごしました。

 

13年分の「迷い」と「決断」

これまで選ばなければならなかったことがたくさんありました。

治療方針、手術、福祉制度の地域差による居住地域選択、進路選択…

その中でも強く印象に残っているのが、2年前に行った気管切開の手術の時のことです。

 

当時娘の呼吸状態がじわじわと悪化し、全身状態に影響が及んでいました。

日中起きていられず一日中眠ってばかりで、排泄も体温維持も自力でできなくなっていたのです。

検査を繰り返し、脳から体へうまく呼吸の指示ができなくなる中枢性無呼吸と、気管が狭窄して起こる閉塞性の無呼吸がみつかりました。

呼吸状態の改善は望めない状態だとわかり、気管切開の手術を受け夜間は人工呼吸器を使用した方がいいのではないかということだったのですが、勧められた術式が二度と閉じられない気管切開となること、どうやっても娘の声が失われる事から、手術に踏み切ることに大きな迷いがありました。

病院関係者の中での手術推進派と、まだ他の治療で粘れるとする声で意見が割れていて、主治医の先生は親が決めた方をどちらでも応援するよ、と言ってくださっていました。

 

セカンドオピニオンにも行き、色んな人に相談し、娘にとって、今と、この先を考えてどちらが良いのか、悩みに悩み、手術することを決めました。

しかし、決めてから手術の日を待つまでの間にも、本当にやっていいのか?と迷いは消えませんでした。

そんな時、同じ病院に入院していた子のお母さんから

「それだけ悩んで決めたのだから、そのこと自体が正解。迷いもせずに決めたわけじゃない。大丈夫だよ。きっといい方向にいける」

と声をかけてもらい、気持ちが軽くなりました。

 

それからしばらくして娘は気管切開の手術を受け、夜間は呼吸器を使用するようになりました。

術後、娘は驚くほど元気になり、今も元気に毎日大好きな養護学校へ通っています。

必要とする医療的なケアは増えました。声も失い、できなくなったこともあります。それでも。

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笑顔で迎えることができた13歳の誕生日。

13年分の「迷い」と「決断」の数々。

どれも、正しかったのかどうかはわかりません。

それでも、これまで決断してきたことに、何ひとつとして後悔はありません。

 

そう多くはない選択肢の中から、その時々に最善だと思うことを決断しながら、これからも娘と一緒に家族みんなで、そうやって生きていこうと思います。

あたたかな人と人とのつながりの中で、穏やかで幸せな日々が続いていきますように。