医療的ケアを自宅で家族の手によって行いながら暮らしている重度の障害を持つこども達に出会ったことがありますか?
近年の医療の進歩と医療従事者の方たちの努力により、一昔前なら助からなかったような命も救われ、生きられるようになってきました。
そして、その過程で様々な理由から脳や体に深刻な障害をおうことになるこどももいます。めいも、そうして現代の医療に命を救ってもらったこどものひとりです。
そんな医療行為を必要とし重度の障害をもつこどもも、人工呼吸器などの在宅用医療機器の普及や改良、福祉などの環境整備も徐々に整ってきたことから、入院ではなく在宅で医療的な行為を行いながら生活できるようになってきました。
今日は、その中でも医療的ケアと併せて身体に重度の障害がありながら在宅で生活する子たちのことをお話ししたいと思います。
(動ける医療的ケア児さんについても、また。)
医療的ケアとともに生きる重症心身障害児たち
医療的ケアとは?
家族や看護師が日常的に行っている経管栄養注入やたんの吸引などの医療行為のこと。医療的な生活援助行為を、医師による治療行為と区別するために、介護や教育などの現場で定着してきた経緯がある。
具体的にどんなことをするのか、ざっくり説明します。
経鼻経管栄養
鼻から胃や腸まで管を入れ、管から栄養剤や水分などを注入する。
胃ろう
お腹から胃に管を通す為の孔を手術でつくり、栄養剤や水分などを注入する。
気管切開
呼吸をするため首元を切開し気管への孔を手術でつくる
吸引
痰を自力で出せない時に口や鼻や気管へ管を入れ機械で吸い取る
導尿
排尿のため尿道に管を入れる
…などなど。一言で医療的ケアと言ってもその子により必要なケアはそれぞれ、医療的ケアの内容は多岐にわたります。
これらを入院生活から在宅生活に移行する際に、家族や本人が病院で看護師さんたちから教えてもらい、その手技を覚えます。
もちろん、大多数の親に資格などはありません。素人です。
私が在宅移行へ向けて指導を受けたのはもう10数年も前ですが、 随分緊張し「医療的ケア」という医療行為に対して身構えたスタートだったことを覚えています。
日常生活における医療的ケア
在宅移行後、2歳になる少し前の4月、めいは療育園へ通い始めました。
めいと同じように医療的ケアを必要な子供達のクラスに入れてもらい、療育園での生活がはじまりました。
朝、登園するとお友達とみんなでゴロンと並んで横になり、それぞれに看護師さんが水分補給の為注入をしたり吸引をしたり。
少し休憩をはさむと朝の会。ひとりずつお名前を呼び、それぞれの反応をゆっくりみつめ、それぞれの子なりの返事をじっくり待ちました。
力がギュッと入ったり、緩んだり、笑顔が溢れたり、泣けてきたり、お母さんや先生と一緒にゆっくり手をあげて、はーい、とお返事したり。
活動の時間は、体を使って遊んだり、音楽活動、制作活動など。
夏にはプールに入り、秋にはサンマを焼いたり、お芋を焼いたり。運動会だって遠足だって行きました。
めいのように医療的ケアが必要な子も、体に重度の障害がある寝たきりの子も、めいっぱい遊び、楽しみました。
活動中も必要ならば都度、吸引などのケアが看護師さんによって行われました。
お昼ご飯は、ペースト食を口から食べる子もいれば、経鼻チューブから栄養剤を注入する子や胃ろうから注入する子も、みんな一緒に、それぞれの方法で、いただきます。
お昼寝の時間も、おやつの時間も、ありました。
園での生活の中には医療的ケアが溢れていましたが、看護師さんは保育士さんたちと同じようにかわいいエプロンをつけて、一緒に歌ったりお話したりしながら、保育の流れを止めることなく自然に医療的ケアを行ってくれました。
それは療育を卒業した今お世話になっている、養護学校で新たに出会った看護師さんや先生たちも同じ。
そんな保育士さんや看護師さんに見守られた生活の中で、どんな子もこどもらしく遊び、生活する姿を見るにつれ、医療的ケアの受け止め方が私の中で少しずつ変わっていきました。
鼻をかむように吸引をすること。
注入する時にはごはんにしよう、いただきます、とごあいさつすること。
しっかり排泄するためのお手伝いをすること。
自分で呼吸ができないかわりに人工呼吸器で呼吸すること。
そのすべてが、こども達にとっては特別な医療行為ではなく日常であり生活の一部だとこの頃に、じわじわと感じ始めました。
「心地よく過ごす」ための医療的ケア
私たちが当たり前にできる呼吸、食事、排泄などを自力で行うことが難しいこどもたちですが、医療的ケアの力を借りることで、できないことを補い心地よく過ごすことができます。それはとてもとても大切なことです。
医療的ケアが本人や家族にとって生活の一部だ、日常だ、とはいうものの、現状は法律上の扱いが「医療行為」である以上、医療的ケアを行う支援者さん達にとってはそこには大きな責任と負担があることは間違いがないのです。
それでも、その欠かせない医療的ケアをただの医療行為としてではなく生活の一部としてとらえ、笑って私達を支えてくださる方に出会ってこられた事はめいにとっても私にとってもこの上なく心強く、また、幸せな事だとつくづく思っています。
心も体も心地よいこと、それは必ず、幸せにつながっていきます。
さいごに、これからも
NICUを無傷では出られなかった、はじめてめいを家に連れて帰ったあの時。
どこにも誰にも頼れなかったあの頃の自分になんとかなるから大丈夫だよ、と、今なら本心から言えるような気がします。
助かった命のその先は、これからも、多分、きっと、大丈夫。
医療的ケアの力を借りてご機嫌に、どの子もきっと、これからも生きていける。
生きていけますように。