ぼくらはみんな生きていく

医療的ケア児の娘のこと。医療、福祉、母の頭の中のあれこれを書くブログ。

昔の話② 2006.6 病気告知の日

旧ブログより抜粋して昔の話をします。はじめから読む方はこちらから↓ 

megumeimusic.hatenablog.com

病気告知の日

出産から数日後、私の入院していた病院からようやく外出許可が出てめいが搬送された病院のNICUへ面会に行った。早く会いたかった。

けれど、病院に着くと、すぐにめいには会わせてもらえず主治医に別室に通され何だかいやな雰囲気。

気まずそうに先生が口にした病名は、聞いたこともない病気だった。

 

「新生児多発性血管腫という病気です」

 

なんですかそれは。

 

「すごく珍しい病気で、症例もかなり少なく治療法が確立されていません。」

 

え?

 

「予後が悪く、死亡率が50~95%程だといわれています。数ヶ月のうちに命を落とす子がほとんどなんです…」

 

え?

 

「新生児期に皮膚、内臓、脳、体中のあらゆるところに血管腫というできものができる病気です。腫瘍自体が血管の塊のようなもので血液で満たされているため出血のリスクが高く、その数も多数で何十個か、何百個か、そのすべてが生後半年頃まではどんどん巨大化していきます。大きくなり増えた腫瘍の分だけ心臓が作り出す血液量も増えるため心臓にもかなりの負担がかかります。腫瘍があちこちを圧迫したり塞いだり、影響は様々で…」

 

わけがわからない。

全身から血の気が引いていく感覚がして、座っているのに倒れそうになった。

 

先生がひとつひとつ今の状況や、どういう治療法を試していくかなどを丁寧に話してくれた。

こらえてもこらえても目から次々にこぼれる涙を止めることができず、その場突っ伏してしまいたかったけれど、先生の説明を一言も聞き漏らしたくなくて涙もぬぐわずに先生から目をそらさず必死で説明を聞いた。

 

一通り説明を聞き終え、必死で涙を止めて、めいに会いにNICUの中へ。意識はなく、呼吸器やチューブなど管だらけの姿を見ると、一度は止めたはずの涙がまた止まらなくなった。生まれたばかりの小さな小さなめいが、医療の力で生かされている姿に、なんとも言えない気持ちだった。

 

なんとかしてあげたい。なんでこの子なのか、私でいいじゃないか、代われるものなら代わってやりたい。それなのに、今私がこの子にしてあげられることなんて何もない。何も、できない。

 

だけど、だからといって、泣いていて何になるのだ。

 

30分ほどの初めての面会を終え、先生と看護士さんに頭を深くさげてNICUをあとにした。どうか、どうかめいをよろしくお願いします、と。

 

帰り道旦那と車の中で、めいのことをたくさん話した。生まれた日に聞かされていた旦那の気持ちを思うと胸が苦しくなった。この日までひとりでどれほど苦しかっただろう。

 

正直楽観視できる要素はひとつもなかったけれど、前を向くしかないのだから、一緒に頑張ろう、と話した。

 

めいの前で泣くのは今日だけだと、硬く硬く、決意をした日。

 

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小さな小さな足。

体中管だらけで、両手は点滴でふさがっていて手を握ることはできなかった。

かわりに、かわいい足にそっと触れた。

(中指のつけね皮膚の奥にうっすら血管腫が見えている)

 

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