今我が家は車中心の生活をしています。
めいの通学はスクールバスに乗れないので私の運転で車で送迎。通院も車。日常生活の買い物や用事も大体、車です。
今日は、まだめいと私が車で生活するようになる前のお話です。
不便がもたらすもの
便利で快適な車生活
今となっては車なしでの生活など考えられない!と思うのですが、私が免許を取ったのは10年前めいが二歳半の頃で、在宅移行後からそれまでの一年数か月の娘との生活での移動手段はすべて公共交通機関と徒歩でした。
通院も電車とバスを乗り継ぎ、ノンステップバスのタイミングが合わなければ駅から病院まで30分娘の車いすを押して歩いていました。(田舎のためバスの本数は少なく、10年前ノンステップバスはさらに少なかった)
道中酸素ボンベを持ち歩き24時間持続注入をしつつ、吐くわ発作するわ、吸引は頻回で、今思えば相当ハードだったのですが、当時はそれが当たり前でそれしか仕方がないと思っていました。
とはいえやはり不便で面倒で、大変な生活でもあったのです。
そんな時、めいが体調を崩して入院しました。どうも入院が長期化しそう、という話が出た頃、当時の私たちの生活を見かねた主治医の先生から
「めいちゃんは病院でちゃんとみておいてあげるから、今のうちに免許をとりにいっておいで!」
とありがたい提案をしていただき、教習所に飛び込むこととなりました。
教習所の方にも事情を説明しなるべく早く免許を取りたい旨を伝えると、かなり配慮していただき、ぎゅうぎゅうのスケジュールを組んでくださいました。
お陰様で免許取得までかかった期間は3週間、さながら合宿張りのスムーズさでした。
主治医の先生や看護師さんと教習所の先生やスタッフさんにはとても感謝しています。
(ちなみに免許取得から数か月入院は続き、噴門形成と胃ろう手術を経て退院しました。)
免許取得、生活は一変しました。
どこに行くにもドアtoドアでとてもスムーズで、移動の負担はぐっと少なくなりました。
でも、今振り返ってみて、それまでの生活が大変で苦労ばかりの思い出しかないのかというと、そうではないのです。
誰かに助けてもらうということ
公共交通機関と徒歩での生活は、たくさんの人と出会いとふれあいに溢れたものでした。
声をかけてくれる人、スロープを出してくれる駅員さん、手を貸してくれる一般のお客さん、階段しかない駅では車いすを抱え階段の昇り降りを手伝ってくださる人もいました。本当にありがたく、温かかったです。
こんな出会いもありました。
10年前、在宅生活始めたての頃、まだ免許持ってなくて電車と徒歩で通院してた。
— 林めぐみ (@megumeimusic) July 16, 2018
帰り道疲れ果てて乗ったタクシーの運転手さんが「頑張ってる人に出会ったら渡そうと思ってた四つ葉」って、メモ付でプレゼントくれて、泣いた。
また会えたら、今、大変なこともあるけど幸せって伝えたいなー。#宝物 pic.twitter.com/vX6ARNjy1Z
お孫さんと一緒に探してくれた四つ葉なのだそうです。
「頑張っている誰かに出会えたら渡そうと思っていた四つ葉」は、私に「よく頑張ってるよえらい!」と言ってくれているみたいに、今もずーっと、私を支えてくれる宝物です。
バックミラー越しに見えた優しい照れたようなはにかんだ笑顔、忘れられません。
いつか、また会いたいなぁ…
もしも私が当時すでに免許を持っていたならば、この頃出会えた人たちに助けてもらうこともなかったのです。
不便さがもたらした「誰かに助けてもらわなければならない状況」を優しく愛しい思い出に変えてくれたのは、出会えた人との温かなつながりでした。
社会の中で生きていくこと
免許取得後、公共交通機関を利用する機会もめっきり減りました。
車生活は便利で快適です。
町や施設のバリアフリーは進み、どんどん便利な世の中になってきました。
それはとてもありがたいことです。
誰かの力を借りなければどうにもならないことも少しずつ減ってきました。
それはとても素晴らしいことです。
なるべく人に迷惑はかけたくない。
人の手を煩わせたくはない。
だけど、少しだけ、ほんの少しだけ、不便で面倒で大変だったあの頃の生活をなつかしく、恋しくも思うのです。
どんなに世の中が便利になり、人の手を煩わせずに生きていけるようになったとしても、誰とも関わらずに一人で生きていける人など、きっといない。
それは障害があろうとなかろうと。
私は、めいと一緒に、家族と一緒に、人と人とのつながりの中で誰かに助けられながら、そしてもらった優しさを誰かに返しながら、誰かを助けながら、生きていきたいと願っています。