ぼくらはみんな生きていく

医療的ケア児の娘のこと。医療、福祉、母の頭の中のあれこれを書くブログ。

重症心身障害児とのコミュニケーションって?【めいと私の場合】

前回のコラボ企画、たくさんの方に読んでいただいているようで…!ありがとうございました!

 

さてさて。かややさんが作成してくださったインタビュー記事で話題に上がった、めいとのコミュニケーション。

今回は少し掘り下げて書いてみようと思います。

 

かややさんブログの私のインタビュー記事はこちら↓

www.kayarimo.com

前回記事はこちら↓

www.megumeimusic.com

 

重症心身障害児とのコミュニケーション

めいと私の場合

私とめいはとにかくよく喋ります。と言ってもめいは喋れないので喋るのは私なのですが。

朝起きたら「おはよう」

身支度をしながら「顔を拭くよ」「歯を磨くよ」「はい着替えるよ腕通して~」

出かけるときには「さ、いこかー!」

 

車の運転中も後部座席に車いすごと乗り込んでいるめいの状態をバックミラーでちょこちょこ確認しながら

「わー今日はちょっと渋滞してるなぁ」とか

「あっちの道から行こか」とか

「やば、遅刻しそうやわ」

「今日は○○ちゃん学校来てるかなー?」

とか話しながら運転しています。

 

学校が終わったら連絡帳を見ながら「学校はどうやった?」と聞くし、ご飯の時には「いただきます」と「ごちそうさま」を。

一日の終わりには「おやすみ、またあしたね。」を。

 

ものすごく普通です。

 

そんな私にめいはにこーっと笑ったり、何か言おうとしているのか口を動かしたり、嫌なことをするとパンチを飛ばしてきたりします。

殴られると結構痛いので「いててて、やめんかい、ちょ、こら、やめなさい!」などと揉めたりもします。親子喧嘩です。

 

嫌なこと、というのは。

めいは鼻を触られるのが嫌いで、鼻を綺麗にしたり鼻水を吸引したりするとものすごく迷惑そうな顔をして、高速パンチを的確に私の顔めがけて繰り出してきたりします。

そんなに素早く力強く動ける子でしたっけ?と何度やられてもツッコミたくなるし毎度びっくりするのですが。

 

いい時も悪い時も普通の時も、あらゆる場面で思うのは、めい本人はどういう風に感じているかな、めいの見ている世界はどんなだろう?ということ。

表情やしぐさ、そう多くはないめいのサインから、何を読み取れるか、どんな風に変化しているか、ちゃんと心地よく過ごせているか、ちゃんと幸せだろうか?

 

言葉を持たないめいの気持ちを、めいの口から聞くことはできないし、確かめる方法も私は持ち合わせていません。本当のところはめいにしかわからないのですが、それでもわかりたいと、通じ合いたいと思っています。

 

めいの脳の損傷の程度と現在の発達検査の結果

めいが障害を負った原因になった心肺停止の時間は10分。脳の損傷はひどく、MRIを撮って残っていたのは呼吸や心臓など生命維持に関わる脳幹、あと小脳がほんの一部分、それだけでした。潰滅的。

当時の障害告知の時のお医者さんの言葉は

「一生寝たきりでコミュニケーションをとれるようにはならない。」

でしたから、医学的な視点からいくと画像診断的には、そうなのでしょう。

 

小学校卒業前に学校で受けた発達検査の結果は8か月相当とのことでした。

心肺停止したのが生後7か月。その時と比べてみても、今そんなにしっかりしてるかな…?というのが正直な印象です。

 

だからといって、めいを赤ちゃん扱いしているかというとそうでもなく。

言葉はなくとも、言葉通りの理解はなくとも、めいは13歳の女の子なのです。

 

ことばのかわりにふれること

私はめいに、とにかくたくさんふれます。手や頬、お腹の張り、体のどこに力が入っているか、体温はどうか。

ふれることで伝わるものはとても多く、これもめいとの大事なコミュニケーションです。抱っこもたくさんします。

 

私のおばあちゃんのことを少し。

とても元気でお喋りで働き者で、おじいちゃんが亡くなって一人になってからも結構な年になるまで一人暮らしをしていて、現在特別養護老人ホームでお世話になっています。

認知症が進行して一人暮らしが難しくなったからです。

 

そんなおばあちゃん、今は会いに行っても寝ていることが多く、私の事もわからない日もあります。それでもなぜかめいのことだけはわかるみたいで、めいをおばあちゃんの隣に連れていくと一生懸命めいの手を握って声をかけようとしてくれます。

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ふたりは通じ合っているように感じます。

 

おばあちゃんの認知症が少しずつ少しずつ進行していくにつれ私達も言葉でのコミュニケーションが難しくなってきてから、おばあちゃんの手を握ったり、ごく自然にしだした自分に気が付きました。

子供の頃繋いだきりだったおばあちゃんの手を握りながら

「おばあちゃん、きたよ、めぐみやで、わかる?」

「気分はどう?」

「寒くない?今日は雨やで」

「また会いに来るしな」

いつも他愛のない話をします。言葉は返ってこなくても。

 

少しでも伝えたくて、わかりたくて、言葉では足りなくて、そっとふれるのだと思います。

 

めいにも、おばあちゃんにも、私がふれる理由は同じかもしれません。

 

わからないからわかろうとする

言葉でコミュニケーションをとれるはずの健常者でも、夫婦喧嘩をしたり、友達とすれ違ったり、親子で衝突したり、分かり合うのは難しいことです。

 

言葉を持たないなら尚更です。

 

それでも私は、めいがどういう風に感じているのか、どんな風に思っているのか、ずっと知りたいと思っています。

 

 

わからないから、わかろうとするして、寄り添う。代弁はできないし、しない。

 

とか、偉そうなこと言っといて、たまに、たまにやけど、ふざけたアテレコしたりすることもある。怒ってたらごめん。

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私はこんな写真撮りたくないのに、とか思ってたらそれは、まぁ、ごめん。

みてください、はしゃぐ親と、めいの、この冷めた目。

 

ともかく。

小さなサインを見逃さずにいたいのです。

 

もしもめいが明確な意思表示ができる日が来たら、私へのお説教も、クレームも、その時はいくらでも、たっぷり聞かせてもらおうと思います。