ぼくらはみんな生きていく

医療的ケア児の娘のこと。医療、福祉、母の頭の中のあれこれを書くブログ。

ブログ開設1年。発信するということを考えてみる。

え、経った?1年?マジで?

 

たまった未開封メールを一斉開封中、その中にはてなブログからのこんなメールが埋もれていることに気づきました。

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…ほう…。

先週やん…過ぎてる…

 

マメとか、記念日やイベントを大切にする、とかそういうタイプからは程遠い私。

 

結婚記念日と家族の誕生日で、ギリです。

 

ブログ開設1年。発信するということを考えてみる。

ブログを始めたきっかけ

そもそもなぜブログを始めたか。

 

2年前の夏、めいの声門閉鎖手術後、小児では珍しい永久気管孔での暮らしがはじまりました。

周りにも同じ状況の子はまだほとんどいなかったため、インターネットで検索し、作るだけ作ってろくに呟かず眠っていたTwitterアカウントを使い、情報を得ようと試みましたが、術後の生活についての情報のあまりの少なさに驚きました。

 

とはいえ、めいは同じように肢体不自由児や医療的ケア児の仲間の多い恵まれた地域に暮らしていて、病院や訪看さんや友達同士のつながりから情報が集まり始め、生活は少しずつ安定してゆき、インターネット上の情報の少なさのことは少しずつ私の記憶から消えていきました。

 

その後なんとなくTwitterを運用し始め、ほとんどフォロワーさんもおらず気ままに呟いていくうちに少しずつフォロワーさんが増え始め、色んな人たちと仲良くなっていき、自分の居住地域以外の医療的ケア児を取り巻く状況が見えてきました。

今いる地域が障害福祉に力を入れていることは知っていましたし、だからここをめいの住む街にしようと決めたのですが、知らなかった外の地域のことを知っていくにつれ、これまでいかに恵まれた環境にいさせてもらったかを痛感することになりました。

 

今自分がなんとかなっているのは、情報がきちんと入ってくるのは、母親同士のネットワークや医療的ケア児の支援に長けた関係者に囲まれているからで、そうでない地域にいたら今も困っていたままなのではないか、孤独で、不安なままだったのではないか、と思うようになりました。

 

自分の持っている情報を、めいの暮らしのことを、残しておいたら、困った誰かの目に触れることもあるんじゃないかな。

たった1人でも誰かに読んでもらえたら。

何かの役に立てたら。

何かのきっかけになれたら。

ブログ、始めてみようかな。

 

そんな風に始めたのがこのブログです。

 

どんな重い障害や病気を持った子も、どんなマイノリティであろうと、同じ世界で、周りの人たちの優しさに守られて幸せに生きていけるように、助からなければよかったなんて思うことなく生きていけるように願いを込めて

「ぼくらはみんな生きていく」

というタイトルをつけました。

 

見てくれる人が増えること

ありがたいことにこの一年でたくさんの人にブログを読んでいただけるようになりました。

Twitterのフォロワーさんも、随分増えました。Twitterの持つ拡散力により拡散されて、更にたくさんの方に読んでいただける機会に恵まれました。

 

たった一人でも誰かに読んでもらえたら、役に立つなら、という開設当初の思いは今も変わっていません。

だけど、最近は文章を書くときに、ブログの向こうに、Twitterの呟きの向こうに、読んでくれている人たちの顔が浮かぶようになってきました。

 

たった一人に対してでも責任を持ちたい、めいを育てる母として、生身の人間としての温度感を持ち、説得力を伴った発信をしたいという思いから顔も名前もオープンにしています。(これに関しては賛否両論、そして色々な考え方があるかと思います)

 

見てくれる人が増えることで、その思いがより強くなり、責任も少しずつ重くなってきたように感じています。

 

家庭における医療的ケア

私の発信する内容は医療的ケアのことを含んでいます。

医療的ケアは医療行為です。でも、医療的ケアを行う私は、家族は、医療従事者ではなく素人です。そして医療的ケアを行うのは家庭であり、病院の中ではなく、日常生活の中の一部分に過ぎません。

 

医療的ケアの手技を病院で指導され各家庭に持ち帰ったその時から、医療的ケアは各家庭流のやり方に少しずつ変わっていきます。

各家庭の価値観、清潔の概念、許容範囲…様々な観点から、各家庭それぞれ「〇〇家流」の医療的ケアへ変わっていきます。

 

子どもの状態が一人一人違うように、親も一人一人違います。

生活の一部である医療的ケアを無理なく毎日継続的に、主たる介護者である親も、そして子どもが安定して楽に心地よく過ごせるようにそれぞれの家庭の「〇〇家流」はどんどん変わっていきます。

 

安全性、確実性、手軽さ、負担軽減、どこを取るか。

医療的ケアが医療行為である以上、越えてはいけない一線はあるでしょう。だけど、その線すら、各家庭によってどこに置くかはそれぞれなように感じます。

 

病院や医療従事者の中でも割れる意見

声門閉鎖による気管切開の手術を受けたときのことです。

最初入院していたのはいつものかかりつけの病院、手術を受けたのは転院した県外の病院でした。

 

まず手術を受けた病院で気管切開のケアについての指導を受けました。でも、執刀医の先生と、病棟看護師さんの間で少し指導内容がちがいました。あれ?と違和感を覚えつつ、一通りの手技を教えていただいた後、めいは元のかかりつけの病院へ戻り、そこから退院することになりました。

 

そしてもう一度退院指導を受けることになり、そこで私は更に混乱しました。

手術を受けた病院の執刀医の先生とも、病棟の看護師さんとも指導内容が違ったのです。

結局、退院後は主にかかりつけの病院での指導を元に、学校看護師さん、友人、訪看さんなど、色々な人のやり方を見聞きし、落ち着くところに落ち着きました。

 

でもまた、今度は気管切開後から増えた呑気の対処のため今やめいの生命線とも言える胃ろうからの空気抜きを、何人かの訪看さんから反対されることになり、またまた混乱しました。

結局最初はしぶしぶ、でしたが空気抜きはしてもらえるようになり、去年劇的に呑気症が悪化し撮影したCTの画像が強烈な説得力となり色んな人に空気抜きの重要性がようやく伝わったようでした。

 

そう、プロである医療従事者さんの間でも、あらゆる医療的ケアの手技や物品の清潔維持の考え方にかなりばらつきがあるようなのです。そしてそれは時代とともにどんどん変わっていっているそうです。

 

病院単位、事業所単位、個人単位で異なる考え方、異なる理論や価値観を持つ人たち複数のお世話になり、その中からめいと自分と家族に合う方法を模索し選択し、主治医のくま先生に相談しながらめいのケアを行なっています。

 

私のやり方を参考にしてくださる方へ

私がこのブログやTwitterに発信していくのはあくまでも我が家流の、家庭における医療的ケアであり、教科書通りのやり方ではないこともあると思います。

福祉や医療に関する情報はなるべく正しいものを発信することを心がけていますし、全てのケアは先生や看護師さんに教えてもらったものではありますが、医療監修を受けているような公式なメディアではありません。

 

お願いがあります。

私のケアを参考にするか、しないか、判断は見てくださる方に委ねさせてください。

御自身の、お子さんの、主治医や担当看護師さんに相談の上、ひとつの方法論として選択肢の一つとして「こんなやり方もあるのね」と受け止めていただけたら嬉しいです。

 

私の経験談として。私個人の考えとして。ただのひとりの母親として。

これからもめいのことや自分のことを色々書いていけたらと思っています。

2年目も、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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寝る前のにこにこ。今日も一日ご機嫌に終えました。マル!

明日も元気でありますように。おやすみなさい( ˘ω˘)スヤァ