ぼくらはみんな生きていく

医療的ケア児の娘のこと。医療、福祉、母の頭の中のあれこれを書くブログ。

意味も価値もいらない

「あなたに生きる意味はありますか?」

「あなたに生きる価値はありますか?」

 

これらの問いに淀みなく答えられる人はどれだけいるでしょうか?私は、すぐに答えることはできません。

そして。

 

「あなたには生きていても意味がない。」

「あなたには生きる価値がない。」

 

これらの言葉を浴びせられたことのある人がどれだけいるでしょうか?

これらの言葉を人に浴びせたことのある人がどれだけいるでしょうか?

きっと、そう多くはないでしょう。

 

ひどい言葉だと感じるでしょうか?

悲しい気持ちになるでしょうか?

怒りを感じるでしょうか?

 

誰かがどこかで勝手に議論して、生きる意味があるとかないとか言っているのは、誰かの、私の、娘のことです。

 

障害者の生きる意味や価値

2020年1月8日。

何の罪もない人達を傷つけ、命を奪った、津久井やまゆり園の事件から3年半が経ち、植松聖被告の裁判が始まりました。

 

この事件以来、障害者の生きる意味や価値があるのかないのかなどの意見がTwitterなどのSNSやテレビなどのメディアでも、盛んに飛び交っています。

犯人の過激な思想に賛同するような過激な意見や、障害者に生きる意味はある、という意見まで、その声は様々です。

植松被告の言葉も様々なメディアで取り上げられ、その言葉に強い恐怖を感じ、怒りを感じ、そしてその一方で、様々な意見をたくさん見聞きすればするほど、自分の中で違和感がどんどん積み重なっていきました。

 

障害のある人の生きる意味?価値?

 

ただ、この体とこの心を持って生まれてきただけで。

不慮の事故で、不運な病気で、たまたま障害を持ち生きていくことになっただけで。

誰かを傷つけたり悪事を働いたりしたわけでもなくなんの罰を受けたわけでもない。

 

意味がないと生きていてはいけないのでしょうか?

誰かの許しが必要でしょうか?

誰もが涙を流す美しいエピソードが必要でしょうか?

 

一度でいいから想像してみてほしいのです。

自分のことを、我が子の生きる意味や価値を勝手に語られ、ジャッジされ、殺されても仕方がないと勝手に理不尽に奪われ、それすら仕方ないよね、と言われる気持ちを。

 

我が子の生きる意味とか価値とか

障害のない人の生きる意味や価値なんて勝手に語る人はそういないのに、どうして障害があると誰かに勝手に意味を語られたり意味づけされたり美しく生きることを求められたり、使命を課せられたりしないといけないのでしょうか。

 

 

何かの罰でもない、望んでもいないのに背負ってしまった一生下ろすことのない障害という荷物を、一緒に背負いながら、一緒に背負ってくれる人に助けられながら、ここまで生きてきました。

 

めいとの生活は大変です。手もかかります。常に寝不足です。悩んで泣いて苦しんで、もがいてもどうにもならないこともあります。一緒に死にたくなったこともあります。

病気があってよかったとは思えません。

障害をおってよかったとも思えません。

意味も、価値も、今もわかりません。

 

それでも、勝手にこの生活を終わらせようとする人には、奪おうとする人には、絶対にわからない。

私がめいのことをどれだけ愛し大切し思っているか。

めいがくれる小さな喜びが、小さな小さな光が、私の心をどれだけ揺さぶり突き動かしてくれるか。

今のめいを、今のめいが出会わせてくれた人達のことを、どれだけ失いたくないと思っているか。

 

意味も、価値も、そんなものいらない。

 

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3月16日

二度と、歪んだ正義感のもとに、誰も傷つけられませんように。何も、理不尽に奪われませんように。

 

理不尽に奪われた人達のことを、忘れない。きっと忘れられない。

 

明日、2020年3月16日。

あの事件の判決が言い渡されます。