ぼくらはみんな生きていく

医療的ケア児の娘のこと。医療、福祉、母の頭の中のあれこれを書くブログ。

不調期に考える、私の中の「こわい」という気持ち

 

そこはかとなく調子が悪く、胃出血を繰り返したり発作が増えたりしながら過ごしているめい。

とはいえ入院するほどでも病院を受診するほどでもなく、必要ならば主治医にLINEで相談しつつ、学校を休ませるか行ってのんびりペースでの過ごしを相談するかして、手元に置いてあるお薬を飲み、絶食しソリタに置き換え落ち着いたら薄めた栄養剤の注入からはじめ徐々にスタートしていくのがいつもの流れで、対応にももうすっかり慣れ、この一連の流れを経て胃出血は止まった。が、止まったはずの胃出血が今週再びあって、お薬服用からの流れをもう一周することになり、そうしてまたやっと胃出血が止まったところ。

 

初めてめいの胃出血を見た時にはそれはそれは面食らいそれはそれは心配した。血!え、大丈夫なん!?だって健康な大人の私が胃出血したとしたらそれは只事ではないし。それが今となっては胃出血はめいにはよくある不調で「ああ、きたか」と受け止めるようになった。もちろん心配はするんやけど。

同じような医療的ケア児である周りの友達にもちょっとしたことで胃出血を起こす子がいて、この子たちにはわりとよくある不調なのかもしれない。

よくあるから大したことないというわけではないけれど、こういった感染症や入院加療が必要なほどの不調ではない本人が元々持っている弱さに起因したちょっとした不調は家でこうして対処をすることも多い。それに、年々増えてきている日々の医療的ケアの手技などにもどんどん慣れて、めいの母親としてどんどんたくましくなってきていると感じる反面、慣れてしまうことがふと怖くなったりもする。

 

初めてめいを家に連れて帰る時に覚えた医療的ケア、栄養剤注入や痰の吸引、経管栄養のためのNGチューブを鼻から胃に挿入すること、そのどれもが最初は怖くて、不安で、心配だった。

できるならやりたくないとさえ思ったけれど、できるようにならないと家には帰れないとなると「こわいです」なんて言えなかったし多分一度も口に出したこともなかった。その後もどんどん増えたケアの数々もこわいと口に出す暇もないままに「よっしゃ任せとけなんとかなるわい」と受け止めてきたしそうこうしている間に16年かけてケアは増えに増え、今後また何か増えたとしても大丈夫だと本気で思っているのだけど、だけども。

口に出すこともないままに心の中にしまい続けていた「こわい」の気持ちはだんだんと小さく薄くなり少しずつ形を変え、今も心の隅の方にしまってある。

だけど、無理やり仕舞い込んでいなくともよかったのかもしれないなぁと、今になって思ったりもする。

不安だったり怖かったりする気持ちは、判断を、行動を、慎重に丁寧にするもので、物言わぬめいの「しんどい」を軽く見積もらず、日常生活の中の変化の兆しを見逃さない一助になるのかもしれない。

 

慣れが麻痺に変わり油断になり、大事なことを見過ごしてしまわぬように、私の中に小さくもまだちゃんと存在している、まだ初々しい母だったあの時の「こわい」気持ちをちょっと引っ張り出してきたりしながら、ゆっくり過ごしたい不調期。

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( ˘ω˘)スヤァ